The Sky's Your Only Limit

努力で天才に勝つ方法を見つけたい。

ボートで思うこと

国体・全日本も終わり、社内レガッタは中止になり、あっという間に2016シーズンが終わった。
そうかと思えば、フネに乗らない生活になり、ゴールがどこにあるのか分からない(決められない)で惰性の生活を過ごしているうちに2016年が終わった。
2016年のことをかなりすっ飛ばして、ボートで思うことをあれこれまとめてみます。


1. 勝つと嬉しいのか

 

初めて、真の意味で勝った。
今度こそ、正真正銘の日本一になった。
誤解を恐れずに言うと、勝ってから嬉しかったのは一瞬だけだ。
レースをする前からある程度、勝てると思っていたからかもしれない。
不甲斐ないがどうすることもできなかった昨シーズンを経て、ようやく全日本の決勝に来た(戻って来たと表現するのが正しいのかもしれないが、私は入社1年目が順位決定だったので、初めてのエイト決勝だった)、それだけで込み上げてくるものがあった。
決勝の蹴り出しには社長も来てくださってコメントをいただき、300人もの社員の歓声のなか出発した。
この時が感動のピークであり、それに比べるとゴール後のそれは、ただレースをして勝ったという競技そのものに対してのみの感動だった。
やはりそのレースの背景、そこに至るまでの経過、それに込める想いが感動の幅や深さを左右するのだろう。
同日の男子舵手なしペア決勝を観ている時の方が泣いた。誰が何と言おうと、私にとって最高にカッコよかったのは母校の後輩たちだ。
脱線したが、基本的に私は、敗者復活戦であろうと草レースであろうと、勝てば嬉しい。
しかし今回に限って言えば、予選から強敵と同じ組であったこともあり、ある程度は勝てると思っていたし、学生時代に勝とうと必死だった、そして大差でコテンパンにやられていた相手に、(この言葉は、この一年を通して共に闘ってきたチームメイトやライバルチームを思うと適当ではないけれど、)あっさり勝てた印象が強いために、「我々が必死で倒そうとしていたあの大学はなんだったのか、我々の、昭和にタイムスリップしたかのような環境下での、血の滲むような努力の日々と敗北はなんだったのか、どうして学生時代に、あの仲間たちと勝てなかったのか」という悔しさの方が強く、そればかりが心を占めてしまっている。

 

2. 一度勝利を経験したら、次のモチベーションはどこから来るのか

 

私の競技人生は負けっぱなしであった。常に、上にいるチャンピオンを倒すための日々であった。
一度勝ったことのある選手は、全日本優勝が最大の目標であるならば、達成してしまった翌シーズンからは、(勝つことに重きを置いているならば、)ボートを続ける理由を失うのではないかと思っていた。
私は今、これまでの競技人生で比較をすると、実際に高いモチベーションではない。
自身がボートに乗り、自身(と自身のスキル)と向き合う日々とは少し距離を置いていることが原因なのか、あるいは、勝って一定の?満足してしまったからなのかは分からない。
しかし確実に言えることは、私は日本で一番のコックスになったわけではなく、会社やスタッフを含めたチームの総合力が、今年一番高かったことを証明したに過ぎない。エイトの勝利とは、本来そういうことであるはずだ。
何よりも、私より優れたコックスは、まだまだ国内にたくさんいるに違いないのだ。
コックスとしての資質やスキルを比較することは簡単にはできないが、ここからは本当に自分(と自分のスキル)との闘いになるのだろうという気がしている。
と、偉そうなことを書いてきたが、ゴールも方法論も今のところ曖昧で高いモチベーションではない。
(このブログを読んでくださっている方はそれほどいないでしょうが、どなたか、コックスのスキル向上やそれに関する、もはや関係なくても!イベントの企画やお誘いなど、アイデアがあれば気軽にお声掛けいただきたいと思います。)

 

3. でもやっぱり水上で無心でいる時間は楽しい

 

私の高校の同期には、別の社会人チームで競技を続けている選手がいる。
弱小校の無名雑草選手が、同期6人のうち2人も運良く未だに続けているのだから、人生はよく分からない。
そんな彼女が年末に母校の水域で練習するとのことで、恩師も生徒に声をかけてくれ、クォドに一緒に乗ることになった。
会社の人とナックルに乗って以来で、久しぶりに乗ったボートは純粋に楽しかった。
後から振り返ると、私より小柄な男子高校生1人、比較的体格のいい女子高校生2人、女子社会人1人の企画艇で、2:06-2:10/SR18.5はなかなか速かったのではないだろうか。ざっくり換算すると、2000mで7:20くらいでは走るのではないか。
3日には、これまた母校の学生とエイトに乗る。なんとも良いタイミングで声をかけてもらえて、本当に恵まれている。
競技スポーツとして取り組んでいると時々忘れがちになるが、本来は、「楽しいからやっている」それだけで充分なのだと思うし、楽しくなかったら辞めればいいのだ。

 

4. なぜボートをやるのか

 

これは究極にして永遠のテーマであり、また、ボートへの関わり方や取り組み方、ライフステージの変化によっても、日々その意味づけは変わってくるのだろう。
私の場合、「無名の雑草選手が、いわば温室育ちのような、ポテンシャルに恵まれた天才に努力の上に勝つ」という、いかにも日本人が好みそうなストーリーが頭の中にある。
全員が全員ではないけれど、(客観的に見るとおそらく)それなりのスター集団に属していることになってしまっている(!)ので、本来自分の伝えたい社会に対するメッセージは、届きにくくなってしまっているかもしれない。
このような言い方は非常に乱暴で美しくないのだけれど、私は、弱者や不器用な人、下手な人、何かからはみ出してしまっている人のそばに寄り添いたいし、友達になりたいし、支え合っていたいと思う。
ただの嫉妬とも言えるが、センスと権力に胡座をかいている人が嫌いなのだ。
そんなロックな生き様を表現する選手でありたい。
スポーツは、アートのひとつであるはずだ。

 

5. ボートの何が魅力なのか

 

このテーマも、ボートをやる理由と似通っている。
私は、まず大学で続けてよかったと思う。
物質的にも精神的にも、どう考えてもイカれた環境下でひとつのことに夢中になったこと、そこに仲間がいたこと、そこから学んだことは大きな財産だ。
また、既にその生活を終え一定の経験をした大人たちと出会い、ボートという共通言語を通して互いを知り、人生のお手本としての先輩、理想とするモデルを得たことが、何よりも大きい。
私はまだまだ若輩者であるが、少しずつそのような姿を見せていかなければならないだろうし、そうなることができればいいと思っている。
最近は、故郷のボート競技の普及や強化にも少し協力できればいいと思っている。

 

6. 故郷のボート

 

なぜそんなことを思うようになったかというと、縁あって、私の乗艇中のレコーディングを頼まれたからである。
これは私の故郷でも母校でもなく、ただ監督のお知り合いだっただけなのだが、このようなご依頼は初めてであり、非常にありがたいことだ。
お役に立てたのかは分からないが、講習会なども開催したいのでお越しくださいとの声をいただいた。
実現するかは分からないが、そういった機会も広げていければ楽しい。
そして、それならば故郷でやらないわけにはいかないし、これは理屈ではなく、母校に何よりも貢献したい。
そんなことを考えて、恩師や、私を大学に誘ってくれた先輩と飲んでいた数日後、面白い話を別の知人にいただいた。

うまくいけば、私の故郷で、イギリス人とエイトを漕ぐことになるかもしれない。

地方は圧倒的に情報が不足している。すべての高校生が強豪校のようなハードトレーニングを行って高校日本一を目指すことに、私は反対の立場をとっている。

しかし、熱のある人や求める人には、何か与えられる環境であることが望ましいし、そんな環境を用意してあげたい。

 

7. 競技者であることといちボートファンであること

 

そういった普及活動のようなことは、競技者が(少なくともメインで)行うことではないのかもしれない。

しかし、積極的に行っている人は少なく、単純に面白いのではないかと、興味を持っている。

なんだかんだ言って、私はボートが好きなのだろう。

ボートが好きな人、真剣な人と過ごす日々を大切にしていきたいし、自分がそう思えば、自然とお互いに引き寄せ合うのではないかと思っている。

 

8. 実業団選手としての立場

 

これは本当に難しい。色々とあったことから、色々なことが、簡単にはできなくなってしまった感覚がある。非常に、身動きが取りづらいが、仕方のないことなのかもしれない。

しかし、そのことを理解し受け入れながらも、跳ね返していくことが、自分らしいあり方なのかもしれない。

例えば、お笑い芸人が周囲の目を気にして、言いたいことを言えなくなったら、いよいよ世界がおかしくなる、みたいなことを言う。

本当にその通りだ。スーパー雑草経歴である自分が、周囲の期待を裏切って、無様でロックな、誰も考えつかないようなボートをやるしかない、という気持ちも抱えているのだ。

 

9. ボートを通して何ができるのか

 

「ボートは、次の人生のための踏み台なんかじゃないんですよ」

師匠である大先輩の言葉である。これを居酒屋で聞いた時、美しすぎて泣いた。ボートへの純粋な気持ちから自然に出てきた言葉だろう。私もそう思う。例えば、就活の面接のために(と言うとかなり極端だが)ボートをがんばっている、みたいな人とは、私は仲良くなれないだろう。

しかし同時に、こうして競技を続けているからには、何かしら形にしたい。例えば、為末大さんは、自身の競技経験を活かして現在の活動がある。真剣に考えて競技に取り組んだ結果であり、本当に素晴らしいと思う。ひとつの理想的な形だ。

例えば肩書きを利用してテレビに出て有名人になろう、などということではなく、競技を通して得たものをアウトプットできれば楽しいのだろうとワクワクする感覚だ。

自分にしかできないことは何なのだろうか。そんなことを考えながら、人生は続く。